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北海道函館 (2019年3月17日〜18日)


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3月17日(日曜日)函館晴れ一時小雪

朝から五稜郭へ
中に入ったことがなかったので、
中にある箱館奉行所
この奉行所は再建された建物

本物は箱館戦争のときに
艦砲射撃でぼこぼこになり、
建築後7年で取り壊し。

その図面と写真と現場の発掘を元に
建て直したのは10年ほど前。
箱館と函館は、ちょうど明治維新の段階で、
名前が変わったということですので、
改名後150年経っています。
ですので、箱館奉行所は、江戸時代にできたので、
箱館の字が使われてます。

 
五稜郭と箱館奉行所

遠くに雪山が見える景色はきれい。
久しぶりの青空、今日は寒くないです。

中も見学ができるので、
家好きのわが家は見学に。
立派な建物で、資材はすべて
当時運んできたところから
取り寄せたそうです。
(青森、山形など)

ここから柏木町の方へ
お昼はこちら
そのあと、ハセガワストアに行って
夕食の総菜などを調達。

そして噂のヤキトリ弁当も
(全くヤキトリが入っていないというもの)
ワインも買って、今夜はホテルで

そこで大変なことが。
ワインがコルクだったんですね。
急いでフロントに行って
ワインオープナーを借りると、
なんとT字のもの。

その場で抜いていたら、
フロントのお姉さんが助けてくれました。
なかなかうまく抜いたのですごいと言ったら、
昔CAだったのでと。

 
白菜の漬物、マカロニサラダ、キンピラ、蟹シウマイ

ヤキトリ弁当
(とは名ばかりの焼きトン弁当です)


3月18日(月曜日)函館晴れ

少し観光をする気になってきて十字街へ

まずは箱館丸を見ようと大町駅で降りると
なかなか立派な建物が。
函館市臨海研究所
この建物、今は研究施設として貸し出しを行っていますが、
なかなか歴史のある建物であり、場所なんです。
まずはここは1984年まで警察署として使われてたそうです。
その前は、大森貝塚を発見したモースさんが実験所として使用。
その前は北海道初の郵便局、
その前は松前藩の海関所(税関に近いもの)
として使用していたという
由緒正しい場所。


旧函館西警察署庁舎
(現在は函館市臨海研究所)
見学可

ここから海まで行って、箱館丸


巡視艇と雪の山並み
 
箱館丸

日本で初めての洋式の帆船だそうです。
そこから少し歩くと重要文化財の太刀川家。
カフェをやっていたようですが、
改修するということで現在はやっていません。
周りには割と洋風な家も。

 
太刀川家(重要文化財)と隣にあった洋館

そこから少し坂を上がっていくと
小林写真館という建物。
このあたりはどれも有形文化財の指定になっています。


小林写真館

その坂をもっと上がると中華会館
現在は公開していないみたいです。

 
中華会館

坂を下りてくると相馬株式会社。
この建物で現在も営業中みたいです。


相馬株式会社

ここから移動してソーセージのお店でお昼。
こちら



食べ終わってふらふらと函館駅へ
翌日のパンなどを買って。
 
函館駅にあったイカポストとほんの少し駅からずれたところにあった旧の駅

一度ここでホテルに戻る
というか大分ゆっくり

夕方から歩いて五稜郭まで行こうと。
理由は土方歳三の終焉の地というところに
行きたかったのですが見つからず
来年の宿題。

その時の通ったのが
雪捨て場
ひっそりと福寿草が咲いていました。
自生のものを見たのは初めて。
(鉢植えしかない)
気づくとあちこちで咲いておりました。

 
これ、雪捨て場です。真黒。

福寿草

中島三郎助父子最後之地

もう一つ立ち寄ったのが
中島三郎助最後の地というところ。

引っ張ってきた資料から
「明治維新後、榎本武揚と行動を共にし、
軍艦8隻を率いて北海道にやってきました。
箱館戦争当時、中島三郎助は箱館奉行並として
千代ヶ岡陣屋の守備につきました。
新政府軍は箱館を制圧すると、
降伏勧告をしましたが、
中島はそれを拒絶して戦闘を続け、
5月16日に長男恒太郎や次男英次郎と共に戦死。
「ほととぎす われも血を吐く 思い哉」
という辞世の句を残しています。」

現在、中島三郎助父子にちなんで、
千代ヶ岡陣屋のあったゆかりの地が中島町と名づけられ、
この地に慰霊碑が建っています。
街の有志の方が花を絶やさないそうです。

ここから五稜郭はすぐ
夕食は昨年も来たところ
夜はこちら

少し足りなくてホテルの中の店で。
こちら


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