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地酒ニュース 1984年2月号その1

1984年1月号その4からの続きです

飲食店が自ら企画して人を集めることを
飲食店オーナーのみんなに勧めていました。
児玉さんは企画することが得意な方でしたね。
考えることが好きだったのかも。
頭は良い方なんです。
早稲田の学生だったのですが、
好きな教授が獨協大学に移るという事で、
獨協受けて本人も移っちゃったんです。

酒の草の根運動中なんて書いてありますが、
これわが家から始まって、というか児玉さんが
1升瓶を抱えて飲みに来て(窓の梅でした)
うちのとっておきの(児玉さんところで買ったもの)
を結構飲んでいって、こういう会って良いねと言って
ここに載せたものです。
というか来てすぐだったような気がする。



酒に関しては大手のメーカのいかにも企業の論理に対して
地方の小さな蔵の視点で猛反発していました。
今では、地酒は高く売れるようになりましたが、
昔は大手メーカの価格に引っ張られていたんですね。
それに、小さな蔵は寒仕込みが基本なんですが、
大きなところは工場自体を冷蔵庫のようにして
通年仕込が可能にしたりとか。
そのうえ、国は訳の分からない税制で一般の方の
酒の判断基準を狂わせるし。
そのことについて怒りを持ってましたね。
右記の年賀状は次に掲載します。

児玉さんはあまり助平なことは言わなかったんですが、
愛人持ちたい願望はあったのかな。
けっこうよく言ってました。
フランスにトリュフォというのがいいですね。
フランソワ・トリュフォー監督が好きだったのかな。

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